2016年3月31日木曜日

春を嗅ぐ (Ⅲ)

清里の森通信123(最終回)

春を嗅ぐ(Ⅲ)

今回、3月末を以って当ブログへの私のささやかなエッセイは終了とさせていただきます。4月より管理公社のホームページを一新させるとのことです。20135月より約3年に亘り拙文を読んで下さった皆様に厚く御礼申し上げます。無記名で書くよう指示を受けたのですが、私と知りお声掛け下さった方々には厚く厚く御礼申し上げます。
清里の森について移りゆく季節の実態を認め、自然を楽しむだけでなく何処にあっても文化は人を作ると信じ、清里の森内で私の信じるところを実践しながら、ブログでも意識的に芸術・文化に関した事を記述するよう心がけました。そしてときには社会の好ましからざる動きに、こころして物申すこともありました。森の中だけの生活にとどまることなく、死ぬまで社会からの逃避者であってはならないとの思いがあったからであります。
一方行政区の役員として最近の2年間、出来る限り皆様のお世話をさせていただきました。公社所長のお話では森には77戸の定住者がおられるとのことですが、既存の町内会に比べ連帯感の希薄さ、協労意識の脆弱さ、個人意識というよりエゴの強さを実感させられたのであります。年間一度のゴミ清掃も、特に別荘活用者の参加は少なく、あれだけ毎日のように犬の散歩者を見かけるのにゴミ清掃への協力者は極めて少数でした。いざというときの防災活動への参加者も少なく気がかりになりました。清里の森の唯一文化の象徴といえる音楽堂の運営も、居住者の意思を外者の力で歪めてしまい、良質の文化を機会を捉え育てようとする小さな灯すら効率優先で独断的に消されてしまうありさまです。
清里の森を真に豊かにする救い主を求め続けなくてはならない、と思うのは私だけでしょうか。

2016年3月22日火曜日

春を嗅ぐ (Ⅱ)

清里の森通信122

春を嗅ぐ(Ⅱ)

3月15日の朝15㎝余りの積雪を見た春雪も、今日20日は数日前からの暖かさもあってすっかり白景を消した。巷の花だよりの声も聞かれ、清里の森はそこまで来た春を木々たちは手ぐすね引いて待つ姿を感じる。
ベランダに取り付けた餌台に集まる小鳥たちの動きも活発に映る。チイー、チイー、チッ。早朝コガラの声。餌を催促する声に聞こえる。今朝の「天声人語」(朝日新聞)は鳥の『聞きなし』の話題だ。「鳥の声を言葉に置き換えるのを『聞きなし』と言う」と同欄で教えてもらった。そしてシジュウカラは「単語」を組み合わせて「文」を作っていると、英科学誌に論文が載ったことも。近頃気にしていたシジュウカラの話題である。我が家の餌台にコガラ、ゴジュウカラ、ノビタキ、カワラヒワ、シメなどの姿は多くあるが、シジュウカラの姿がこのところ減少したように思えてならない。何故だろう。それにしてもシジュウカラは他の小鳥と違い「文」を作る知恵があるとは興味が湧く。コガラが他の小鳥に比べ人に近づくのは何故かということも。

私が畏敬する詩人・安水稔和さんの初期詩集「鳥」(1958年刊)に次の詩がある。

鳥が夢をみた。/いつおわるともしれぬ/ながいながい夢をみた。/いつまでたっても/飛びたてぬ、/飛びたとうと/羽ばたいて/けんめいに走るのだが/いつまでたっても/土の上を走っている、/砂をけちらし/水たまりにふみこみ/なりふりかまわず走るのだが/いつまでたっても/土から離れられぬー/にがいにがい夢をみた。 「鳥」より

未だに飛び立つことのできない私が、終の棲家とした森にいる。もどかしさを抱え、届けたい人に届かない「文」を発信しつづけている。安水稔和さんの閉された内面世界に未だに彷徨しているようである。こんなに「鳥」への思いを寄せているのに。

2016年3月10日木曜日

春を嗅ぐ (Ⅰ)

清里の森通信121

春を嗅ぐ(Ⅰ)

 三月の甘納豆のうふふふふ(坪内捻典)

二月という月が三月になったというだけで厳しい冬というトンネルから抜け出した気分になる不思議。31日朝6時の気温-9.5℃と冷え込み、うっすら雪化粧をしていたが気分は《うふふふふ》春を感じるのであった。
冒頭の句は同朝「折々のことば」(朝日新聞)で哲学者・鷲田清一さんが選んだ一句であり、読まれた方もおありと思うがこの句を一刀両断見事な解説がなされていて、小舎編集発行の文芸誌「ぜぴゅろす」にも何度か寄稿下さっている俳人・坪内捻典さんの代表作ともいえるのだ。なんとも自然に相好を崩すこの句と出会ったとき、明るい春の陽射しを背に受けたようにあたたかい気分になった。鷲田清一さんは「甘納豆をほおばりながら、長かった冬の厳しさが終り春はもうすぐそこ、と思うと、自然に顔がほころんでくる。」と感想を述べ、「俳句は日常の断片を事細かに説明するのではなく、刷毛で掃くようにさっと描く。」という句作法が伝授され、私はそのことを清々しく受け止めたのであった。
詩人・大岡信さんが長期に亘り掲載を続けていた「折々のうた」も興味深く、毎朝が楽しみであったが鷲田清一さんのは〈普通の人〉のつぶやきのようなことばを取り上げ陽にかざし、独自な感性で読者を楽しませてもらえることが嬉しい。〈ことば〉は口先のものでなく心底から這い上がってくるものであらねばならない、と思うのであった。
春のにおいを心底に運び、自然が変化する足音を耳にしたいと思う。

2016年2月28日日曜日

光降れども風冷たし (Ⅲ)

清里の森通信120

光降れども風冷たし(Ⅲ)

 224日(水)夜、時々見る「歴史秘話ヒストリア」(NHK・TⅤ)に何故か引きずり込まれた。私が生まれる2ヶ月前に大事件となった「2.26事件から80年」奇跡の脱失劇などあまり語られてこなかった事件の秘話が、生々しい映像と共に語られたのだ。中学・高校の歴史でも詳しく教えてもらった記憶はないが、この事件がファシズム軍国主義への不幸な転換点となったということを何かの書で得た知識として持っていて、深くは知らずせいぜい〈陸軍部内の派閥抗争で青年将校によるクーデター〉程度の認識であった。天皇制や時の権力者とどう関わっていたのか知る由もなかった。にも拘わらず引き込まれたのは何だったのだろう。目的が何であるのかも知らず上官の命に従って行動を余儀なくされ、今は年老いた当時の下士官兵の話に心を動かされたのかも知れない。
光降れども風冷たし。のテーマから逸脱したようだが、人は矛盾を繰り返し生きるとあってみれば、ふと私が80年生きた歳月を感じる機会を一つの事件によって思い起こさせたのかも知れない。刺激を受けるとはそういうことかも知れないのだ。小欄で政治や社会論をつべこべ述べるのは「清里の森通信」の本意ではなかろう。でも歴史に学び人間としての在り方を死するまで課題とすることはあって否定されるものでないはずである。少々堅苦しい話題となったがどこで生活するにしても、平和を願い命の大切さを共有する社会であってほしいのは人間の永遠の願望だ。
話しはともあれ、この3月から毎月第一水曜日の夕方から「木の里サロン」が開かれる予定をされている。森での生活をより楽しくより親しみあるものとし、気軽に交流できる時間を持ちたいものとの発案があったのだ。よい刺激は生命の滋養、4月から本格化し詳しい内容は近々に案内されるもようだ。

 

2016年2月21日日曜日

光降れども風冷たし (Ⅱ)

清里の森通信119

光降れども風冷たし(Ⅱ)

2月18日の朝、気象予報士によりその日が24節気の一つ「雨水」であり、雪が溶け雨となる頃と解説しているのを耳にした。何か気になって〈角川国語辞典〉を引いたら「雨水」は太陽暦218日頃をいうのだそうだ。因みに金田一春彦さんが亡くなり葬儀のあといただいた〈学研・現代新国語辞典〉を引くと、「雨水」は219日頃とあり「雨水がぬるみ草木の芽が萌え始める頃」と付記してあった。そこで更に〈小学館・国語大辞典〉を引くと「天文学的には、太陽が黄道上の330度の点を通過するとき」で218日頃に当る、とあった。
何も「雨水」一つでわざわざ3冊の辞典を暇に任せて引いたのではなく「頃」という語にひっかかっただけの事である。ことばというのは不思議なものを秘めているもので、ことばを「語」として知って納得したり、前回通信の冒頭で記した2月のことを「光の春」というなどと、知らないことを知って妙に楽しくなったりするものだ。
光降れども風冷たし。の表題で2月を綴っているが、昨日の新聞一面で早咲きで知られるお隣静岡県の河津桜が7、8分咲きとなり、今年は昨年より1週間ほど早く咲き始めたとカラー写真が掲載されていた。春の足音が近づいた思いで気持ちが軽くなり、その日はたかね図書館での「大人のための朗読会」を聞いたり、おいでやギャラリーでの森の住民である「牧勝彦油絵展」を観たりなどと、暖かさに誘われるようによく動いた。
こんなことを認めていて窓外を見ると当地は雨でなく雪が降っていて、路面の両端に寄せられた雪が目立つだけで森中は消えかけていたのに、地上や屋根は瞬く間に白の世界となった。しかし何故かこころは春めき、今日の雪は少々水を含んだ重い雪に見える。春を恋しい人を待つがごとき思いが強いからだろうか。

2016年2月10日水曜日

光降れども風冷たし (Ⅰ)

清里の森通信118

光降れども風冷たし(Ⅰ)

2月」のことを「光の春」というのだそうだ。25日の「天声人語」で知った。2月をこんなに美しく表現することを長年生きて今日まで知らなかったのは不覚であるといってよい。ことばに関わることを仕事と思い生きて来た私がである。23,4日清里の森の朝はマイナス10度を超える冷え込みで、厳しい寒さを感じたのであるが、昼間にストーブの薪を取りに出たとき妙に空の明るさを感じ、寒さの中に光だけの春を感じたのであった。思えば「光の春」を実感したのであった。待たれる春は未だ遠いと知って、その日の「光」が淡くまぶしく私を包んでくれたのであった。その感覚を忘れていない。「光の春」そのものを感じていたのであった。
光降れども風冷たし。そんな130日(土)は北清里行政区の「新春の集い」の日であり、今年も「木の里」で催された。昨年は25名の参加者だったのに、今回は20名といささか寂しかった。管理センター橘田所長の挨拶があり、その中で清里の森での定住者は77戸あることを知った。全戸数のほぼ1割の人が定住していることになる。現在行政区の情報を1期から4期まで各組長を通し回覧板を廻しているが、その戸数は40戸でありあとの37戸の方は住民票を当地に登録されていないのか、そもそも面倒な事には関わりたくないのか、組織に参加されていない。中には回覧板を届け参加を呼び掛けても拒否される始末である。強制力はないのだが、生活目的は違えても別荘活用者はとも角、同じ地域の住民であるならばいざ事が起これば助け合わねばならないのだから、自由勝手を求めた生活であっても最低限の共同意識は持ってもらいたいと思うのは間違いだろうか。人間の思いのほか何が起っても可笑しくない世であってみればそう思うのであるが如何なものか、よくよく考えてもらいたいと思う。のっぴきならない何かが起こってしまったそのときでは遅いのだ。

2016年1月30日土曜日

年改まり何処へ (Ⅲ)

清里の森通信117

年改まり何処へ(Ⅲ)

新しい年になり、早一か月が過ぎようとしている。大雪も降った。寒波も来た。今朝は氷雨だ。時き過ぎるのが早いと感じるのは、老齢化すると明日の事あれこれ考えるより過ぎ去ったことを思う時間の方が多いからだろうか。それにしても明日への楽しみな話題や約束は少なく、早々に耳にするニュースはスキーバスの大事故で多くの若者が亡くなったとか、幼児を虐待で死亡させたとか、廃棄物横流し問題、長浜原発再稼働問題、そしてまたまた政治と金の問題で主要閣僚が辞任などと、暗澹たる思いがよぎる出来事が多すぎる。良い出来事はニュースにならないのかも知れない。そういえば日常生活の中でも、悪いことは伝わりやすく良いことは伝わりにくいこととも関係している。人は良いことより悪いことの方に多く関心を寄せる感情傾向があるようだ。
ところで一つ最も関心を寄せたニュースがある。毎年は積雪の多い福井県のとある山林の話だ。今年は積雪がほとんどなく、そのため鹿が檜林に入り根元から表皮を食し、大きな被害をもたらしているというのだ。自然は雪を降らすことにより林を守っていることに気付いたのであった。それにしても寒波により奄美大島に115年振りに雪を降らせたり、沖縄にみぞれと驚きであり、人の世の乱れと困惑に呼応するように荒天をもたらしている。自然の予期せぬ驚異の要因の大方は人間の仕業によると多くは分っていながら、遅々として対応ができない人間社会だ。

山眠る海の荒るれば荒るるほど(あらゐひとし)

「雑学的な近況報告」なるものを月に2~3回送付してくれる甲府の文学仲間から今日届いた〈発送案内〉の中で紹介されていた句である。今認めたことを思い描き、こういう句を創れる人に会いたいと思う。